「ずっと前から好きでした!僕と付き合ってください!」
誰もいない大学のキャンパスビルディングの屋上テラスで、1人の男が勢いよく頭を下げて意中の相手に募りに募った想いをぶつけた。
突然呼び出され、恋情を打ち明けられた相手は目をまん丸と広げ、驚いた様子を見せたが、やがて口を小さく噤んで申し訳なさそうに俯いた。
しばらくの沈黙の後、彼女の口が開く。
「……ごめんなさい。あなたの気持ち、すごく嬉しい。だけど私にはもうお付き合いしてる人がいるの。だからその……あなたの気持ちには応えられないの……本当にごめんなさい。」
長い黒髪を垂れ下げながら同じように深々と頭を下げる目の前の女性――朝倉鈴華(あさくらすずか)。ゆっくりとその端正な顔を上げると彼女なりのケジメなのか、まっすぐとこちらの瞳を見つめてバツの悪そうな笑みを浮かべた。
「その、彼女になってあげることはできないけど、これからもお友達として仲良くさせてくれる?あなたさえよければだけど……」
突きつけられる完璧なNO。
真正面から気持ちを受け止めた上での真摯だが残酷な拒絶。それだけに引き下がることしかできない。
初めから土俵に立ててすらいなかったという現実を突きつけられた。
「分かった。これからも……よろしく。」
「ええこちらこそ、これからもいい友達でいましょ!」
当然この言葉がトドメとなり、米原博人(よねはらひろと)という男の、一世一代のつもりで挑んだ告白は大惨敗という無残な結果に終わった。
「やっぱりダメだった……!くそっ、くそぉ!」
悔しさから枕に拳を叩きつけ、顔を埋める。
真っ暗な自室で博人は己の不甲斐なさを嘆くことしかできなかった。
初めから鈴華には高校以来付き合っている彼氏がいることは分かっていた。
だがそれでもなお、僅かでもチャンスがあるのではないかと一縷の望みにかけたものの、蓋を開けてみれば結果は火を見るよりも明らかだった。
少しでも楽観的だった自分を殴りたいとさえ博人は思った。
入学からの3年間、ずっと溜め込んできた想いをぶつければ、彼女は応えてくれるのではないかと――。
「馬鹿か俺は!そんなことあるわけないだろ!高校からずっと付き合ってる2人が、他の誰かに告白されたからって別れるわけないじゃないか!」
玉砕するまで考えないようにしていた事実が、今になって博人を執拗に責め立てる。
諦めなければ報われる。
そんな綺麗事が例外なく通じるのは漫画やアニメの世界だけなのだ。
「あぁ、いっそのこと消えてしまいたい。」
明日からどんな顔をして彼女会えばいいのか。いい友達のまま?そんなことできるはずもない。秘めたる想いをぶつけた相手と、これまで通り接することなどできるわけがない。だからこその賭けだったのだ。
敗色濃厚だと分かった上で挑んだ分の悪い賭け。それに負けるべくして負けたのだ。
「……はあ~。」
鬱屈とした感情がのしかかったまま、不貞寝するべく枕に顔を埋めていると、静寂を打ち破るように扉のノック音が聞こえた。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
「……」
どうやら扉の向こうにいるのは2つ下の妹、優奈(ゆうな)のようだ。高校3年生になり、いよいよ大学受験を控えた妹の用件といえば、精々「勉強を教えて欲しい」あたりだろうか。
何であろうと今は取り合う気分になれない博人がそれを無視していると、返事がないのをいいことに無遠慮に兄の部屋へと足を踏み入れる。
「なんだ、いるんじゃん。返事くらいしてよね。って、なに1人でへこんでんの。」
「頼むから今は放っておいてくれないか優奈。今は誰とも話したくない。」
ドア口に立った優奈はそんな博人の様子を見て呆れたように肩をすくめた。
「はーん、どうせお兄ちゃんのことだから好きな人にでもフラれたんでしょ。いい加減現実を見れば?冴えないお兄ちゃんをわざわざ好きになる人なんてそうそういないって。」
「…ってるよ。」
「ん?今なんか言った?」
「言われなくても分かってるよ‼」
傷口を抉られた博人は我慢できなくなり、勢いよく顔を上げて優奈に吠えてしまう。
思わぬ反応に流石の優奈も少したじろいでしまったようだ。
「ご、ごめん…そこまで気にしてるって思わなかった…」
「…お前には分からないだろうな。失恋がどんな気分かなんて。」
優奈には同級生の彼氏がいる。高校のサッカー部マネージャーをしている優奈はその副部長である男子生徒に一目惚れをしたらしく、ある日意を決して告白。男の方も満更ではなかったようで、2人は部活仲間から見事カップルにグレードアップしたのであった。
だから妹には自分の気持ちなど理解できるはずもない。
返す言葉がなかなか見つからないのか、優奈は困ったように目を伏せた。
「お兄ちゃん…その、私は――ひうっ⁉」
「優奈…?」
突然目の前の妹が引き攣ったような声を上げ、全身を硬直させた。
目は天井を向き、口は歯を食いしばったまま「い」の字で固まってしまう。
手足が何かに犯されているかのように痙攣し、立っていられなくなった優奈はそのままストンと膝をついてしまう。
明らかに様子がおかしいと思った博人はベッドから飛び起き優奈へと駆け寄る。
「優奈どうした?おい、優奈!」
「あっ、あっ!あぁっ……ふぅ~、やっと入れたか。」
博人の両手の中で苦しそうに震えていた優奈だったが、やがてそれも収まると静かに落ち着きを取り戻した。それどころか今の光景がまるで嘘だったかのように今度は嬉しそうな笑みを浮かべている。
心配そうに見つめる博人をよそに優奈はゆっくりと立ち上がると、細い腕を持ち上げて観察し始めた。
「やっぱり生身はいいねぇ。それも瑞々しい女子高生のカラダときたもんだ。どこもかしこも柔らかいぜ。」
「ゆ、優奈…何を言ってるんだ?もう大丈夫なのか?」
状況を理解できない博人は目を丸めたまま優奈の顔を見上げる。
「ははっ、大丈夫さ。中身はともかく肉体の方は至って正常だぜ。ただこうでもしないと会話ができないからな。」
「言ってる意味が……」
さっきまで普通に会話していたじゃないか。
それに優奈の口調が本人とは思えないほど様変わりしていたりと、博人の頭の中で絶えず疑問符が浮かび続ける。
「鈍いなぁ……まあ、無理もないか。そっちの趣味があるわけじゃなさそうだし。」
やれやれ、と言いだけに首を横に振った優奈はひょいとベッドに腰掛けると、にっこりと可愛らしげな笑みを作ってみせた。
「お兄ちゃん、私のカラダは今乗っ取られてるんだよ?」
「……はぁ?」
あまりに突拍子のない話に思わず口が開いてしまう。テレビで心霊現象の類の番組でもやっていたのだろうか。そうとしか思えないほどに馬鹿げた話だと博人は思った。
「お前、からかってるのか?」
「うわぁ、全然信じてないね。さっきのが演技でできるなら私はとっくに女優になってると思うんだけど。」
「逆にどうやって信じろって言うんだよ、そんな漫画みたいな話。」
「ふふっ、じゃあ……こういうのはどう?」
その質問を待ってましたと言わんばかりに笑みを浮かべると、優奈は突然自分の部屋着用のTシャツをめくり上げた。
顔を出したのはそれなりに引き締まったお腹とグレーのスポーツブラに包まれた形の良い胸。勢い余ったのかシャツを持ち上げた手に当たった胸がぷるんっと柔らかそうに揺れた。
「なっ⁉」
それを見た博人は思わず顔を背ける。妹の下着姿など何年もまじまじとは見ていないのだ。その禁断とも言える光景に赤信号を発した彼の脳が半ば反射的に視線を外す指示を出すのは無理もないだろう。
「せっかくなんだからちゃんと見てくれればいいのに。」
「妹の裸なんて誰が好き好んで見るか!それより何やってるんだよ⁉」
「服を脱いでるんだけど?」
「そんなのは見れば分かる!俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて……!」
そうこう言ってるうちに優奈はTシャツを脱ぎ去ってしまう。
目を逸らしていてもその白い肌の眩しさが分かる。
「どう?乗っ取られてるって信じてくれた?」
「お前!人をからかうのも大概にしろよ!それは冗談じゃ済まないぞ……!」
「えー、まだ信じてくれないの?鈍感通り過ぎてもう不感症じゃん。」
妹の口から不感症という言葉が飛び出したことに博人は目を剥いた。からかうためとはいえど冗談で性的な発言をするような性格ではなかったはずだ。
「本当に今日はどうしちまったんだよ!お前らしくないぞ!」
「だから中身は私じゃないって言ってるじゃん。ねえ、お兄ちゃんの知ってる私はこんなことをする娘だった?」
上半身を覆う布はブラのみというあられもない姿のまま優奈は博人に抱きついた。
必然的に柔らかい胸が腕に当たり、その感触が博人の脳を強く揺さぶる。
「ねえお兄ちゃん、触っていいんだよ?私が鈴華さんの代わりになってあげよっか?スタイルは負けるかもしれないけど私も十分可愛いと思うんだ。」
「っ!なんでお前、鈴華さんの名前を!」
その瞬間、揺れていた意識が平静を取り戻す。妹には自分の好きな人の名前を伝えたことなど一度もない。そんな優奈が鈴華の名前を知っているのはどう考えてもおかしかった。博人の表情が困惑から愕きに変わるのを見て優奈はニンマリと笑う。
「そりゃ知ってるよ。だって見てたんだから。あの屋上でお兄ちゃんがこっ酷くフラれてるところを。」
「……優奈がそこまで知ってるなんてありえない。あの場に他の人間なんて――お前は、誰なんだ?」
「ふふ、ほぼ答えみたいなヒントをあげちまったがようやく信じてもらえて嬉しいぜ。お兄ちゃん!」
「いいから答えろ!優奈の中にいるお前は何者だ!」
「俺は人によっていろんな呼ばれ方をされるがそうだな……ちょっとお節介な悪霊ってところだ、お前にとってはな。そしてそんなお前への用はただひとつ。その恋路、俺にも一枚噛ませてくれよ。」
現実によって砕かれたはずの博人の夢が、悪魔のような力で再び作り上げられようとしていた。それもとびきり歪な形に――